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吉祥院の歴史

中本寺吉祥院

 吉祥院のように法流本寺の末寺は、自らもまた末寺を持つので中本寺と呼ばれました。寛政七年(1795年)の「新義真言宗本末帳」を見ると次の末寺・門徒(門末)が記されています。

<末寺>
明王院 足立郡梅田村
西蔵院 江戸下谷金杉
世尊寺 江戸下谷金杉
安養院 足立郡千住町
宝幢寺 埼玉郡鶴ヶ曽根村
宝寿院 足立郡本木村
善応寺 足立郡興野村
不動院 足立郡千住町
慈眼寺 足立郡千住町
大光寺 足立郡六木村
<門徒>
瑞応寺 足立郡本木村
光輪寺 足立郡本木村
大聖寺 足立郡関原村
円乗院 足立郡本木村
宝性院 足立郡高野村
清光寺 足立郡興野村
遍照院 足立郡梅田村
長円寺 足立郡千住村
金蔵寺 足立郡千住村
薬師寺 足立郡伊藤谷村
真福寺 足立郡弥五郎新田村
西光院 足立郡牛田村

 これらの寺々には、本寺吉祥院が住職任命権を保有し、本寺の諸行事に出仕を義務付けられるなどさまざまな制約がありました。本寺は末寺の人的協力によって諸行事の運営をしていました。

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