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境外仏堂巡り

 昔、当山の檀信徒の方々の葬祭は、それぞれ近くの墓地で行われていました。各墓地にはお堂が設けられ、堂守や僧侶が出張して法事が執り行われていました。
 現在、当山関係の境外仏堂は4カ所残っており、地蔵菩薩や阿弥陀如来が安置されています。
 ただし、いずれのお堂も管理人に申し出ないと中に入ることはできないのでご注意下さい。

不動堂(星谷の地蔵堂)

不動堂(星谷の地蔵堂)

【所在地】東京都足立区扇1-31-45 (図子名 星谷)
現在、扇一丁目の地蔵堂には、中央にお不動さんが、左右にお地蔵さんが安置されその他、聖観音坐像、如意輪観音坐像、六地蔵尊立像などがおまつりしてあります。もともとこのお堂のご本尊はお地蔵さんなので、地蔵堂といわれていました。
  ところが江戸時代の終わり頃、このお堂に密教の行者が入り、お不動さんをおまつりし、火渡りの行などを行って、人々を感化しました。以来、地蔵堂は不動堂と呼ばれるようになりました。
  さて、この地蔵堂にある地蔵菩薩にはありがたい話が伝わっています。江戸時代の中頃、旱魃(かんばつ)の続いた時季があり、苗代の手入れができないほどに乾いてしまい困ったので、この地蔵堂に集まって雨乞いの祈祷をしたそうです。するとその晩、雨が降ったばかりか苗代まで掻いてあったそうです。お礼参りに行くと、なんと、お地蔵さんの足元が泥水でぬれていたため、もしかするとこのお地蔵さんが代を掻いてくださったのではないかということで、以来、このお地蔵さんを代掻き(しろかき)地蔵と呼ぶようになりました。
六地蔵尊立像聖観音坐像地蔵菩薩立像 代掻き地蔵

常念坊

常念坊

【所在地】東京都足立区本木西町13-3
このお堂は当山に隣接する境外墓地にあり、地蔵菩薩立像が安置されています。この地蔵菩薩像は身の丈が約1メートルもあって、均整のとれたお姿です。
 山門を入って正面にはの永代供養墓(合祀堂)があり、その上には、身丈3.6mの聖観音像が立っています。
 お堂の横には、筆塚があります。筆塚とは、役目を終えた筆に感謝し、それらを供養するためにつくられた塚のことです。苅草学院・HOPE21・勁草学舎理事長 苅草國光先生によって建立されました。中国から日本へ伝わった「漢字文化」の象徴「毛筆」と「学問」「学習」の象徴「鉛筆」が、学院創生期の子どもたちの「勉強したい」という思いと、苅草先生の私教育にかける情熱を表しています。台座の上には「万年筆」も置かれています。テレビに代表される映像文化が氾濫し、携帯電話による文字文化の崩壊が危惧される中で、文字文化の大切さを3本の筆が表しています。その上の「巻紙」には、苅草先生の私教育に携わって生きてきたことに対する感謝の言葉が記されています。巻紙は紙が尽きることなく続くので、私教育への思い・感謝が永らく続いていくようにとの祈りが込められています。
 吉祥院の旧山門は、現在は常念坊の山門となっています。旧山門>>
地蔵菩薩立像 聖観音像 筆塚 旧山門

阿弥陀堂

阿弥陀堂

【所在地】東京都足立区扇3-11-11 (図子名 高野)
当山の境外仏堂の中で一番立派なのが、この阿弥陀堂です。このお堂には、本尊として身の丈45センチの阿弥陀像、また地蔵菩薩と弘法大師像と聖徳太子があります。本尊の阿弥陀三尊は、観音・勢至を脇侍とする来迎の姿を現しています。
阿弥陀三尊像聖徳太子立像

地蔵堂

地蔵堂

【所在地】東京都足立区扇2-3-6 (図子名 太田)
このお堂には本尊の地蔵菩薩像一体と脇仏として観音菩薩立像・弘法大師坐像・阿弥陀如来立像・地蔵菩薩立像二体が安置されています。墓地には享保十九年(1734年)建立の宝筐印塔があります。扇一丁目の地蔵堂と区別するため、一丁目の方を不動堂と呼んでいます。平成九年修理。
地蔵菩薩立像地蔵菩薩立像